災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私が原発事故によって苦しく感じた事

ペンネーム M. M.
原発事故当時に居住していた市町村 仙台市
避難について 震災発生後1週間は実家近所の避難所に避難し、その後は3月末まで大田原市の母方の実家に避難
家族構成 父、母、姉
投稿区分 学生である


 私が原発事故によって苦しく感じた事は,中学校の授業が再開し,新学期を迎えてからの学校生活でした。 

 私が福島県出身である事を知っていた当時の同級生は,私に対して「福島に帰れ」「福島なんか消えてしまえ」などといった心無い罵声を飛ばしてきました。何より悲しかった事は,そのような暴言を吐く生徒を他の生徒はおろか,教師ですら誰一人として止めなかった事です。 

 なぜ同じ国,同じ東北地方に住んでいる人間なのに,これ程までに人を傷つけるのか。そもそも,宮城県も震源地に近かった女川原発で事故が発生していたら,福島県と同じ状況に陥っていたのではないか。そのような事を考えずにはいられませんでした。

 近年では自治体や企業,そして有志の人々の絶え間ない努力により風評被害が治まりつつありますが,それまでに心に深く傷を負った人は私に限らず,多くの地域に何千,何万人といる事でしょう。また,一度負った傷が癒える事はそう簡単ではなく,おそらく地域が復興するよりも長い時間がかかります。

 復興庁が定めた復興期間が終わっても,地域が震災前よりも豊かになっても,震災,原発事故,そして風評被害によって被害を受けたすべての人々の心の傷が癒えない限り,復興を終わらせることはできない。私はそう思います。

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