災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は福島県の南相馬市の出身で,

ペンネーム 佐藤
原発事故当時に居住していた市町村
福島県南相馬市
避難について 宮城県仙台市
避難期間 2011.3月22日~今まで
家族構成 祖父、祖母、父、母、兄、自分の6人
投稿区分 学生である


 私は福島県の南相馬市の出身で,震災によって小学校のすぐそばまで津波が来たり,クラスメイトも皆散り散りにならざるを得なかった。

 しかし『家族も家も全員無事で,電気も水もガスも通っていて,原発からの距離的に避難も強制ではないが賠償金を貰える』という立場は,周囲の環境を鑑みればとても泣き言を言えないほど恵まれた方だと思っていた。


 震災から1月経ち少し落ち着いた頃,仙台の学校に通いだしてみると,酷い目に沢山あってきた可哀想な境遇の人,という扱いを受けてショックを受けた。福島から引っ越してきた,なんて言ったら皆から露骨に憐れみの態度を示されるのが辛かった。
また,普段の授業や集会の前置きで原発の話題を出されるのも辛かった。話に出される度に,心拍数が上昇し息苦しくなった。

 しかし,一番辛かったのは私が自主避難していることを知らずに,原発の事故をジョークのひとつとして何度も言う人がそばにいた事だった。その人と学校が変わるまでの三年間,毎週のように嫌悪感を催す話題をクラスで持ち出されたこと,そして私の事情を知っている友達には気を揉ませていてしまったのがどうにもいたたまれない気持ちだった。

 ただ,私はこのことを彼に突き付けたりはしないだろうと思うし,きっとその話題を出す人に何も言えない。もし私がこんな目にあっていなければ,ジョークと侮辱の差が分からずに人を傷つけてしまっていたかもしれないからだ。震災が与えられた傷は大きいが,人の気持ちを考えて発言しているか,ということを考えるきっかけにはなった。

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