災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

宮城県の気仙沼市という地域の出身です。

ペンネーム 消火器
原発事故当時に居住していた市町村 宮城県気仙沼市
避難について 震災後地元の中学校で5日前後避難所生活の後自宅へ
家族構成 父、母、弟
投稿区分 学生である


 私は福島県ではなく宮城県の気仙沼市という地域の出身です。気仙沼市は漁業が盛んな地域で,市場が賑わっている街でした。しかし2011年3月11日の東日本大震災の影響で多大な被害を受けました。自分の周りでは亡くなってしまった人,行方不明になってしまった人はおらず幸運だったのですが町は大きな被害を受けました。当時,小学5年生であった自分はなにが起きているのかわからず漠然と恐怖を感じたのを覚えています。揺れが少し収まったころ小学校の先生が「津波だ!」といい友人などと一緒に近くの避難所である中学校に避難しました。多くの人が続々避難してきており住んでいる地域ごとにまとまって夜を明かしました。その時の夕食は支給されたお菓子でした。何日か経っても余震は多かったのですが避難所で友達と過ごしたりするなど少し生活もできるようになりました。家へ戻ってからも電気や水道はまだ通ってなく自衛隊の方々の給水や近所に住んでいる人の井戸を借りたりしていました。明るくなったら起き,暗くなったら寝る生活を何度か繰り返しました。かなりその生活は厳しく節水なども心掛けていました。何日か経って電気や水道が出るようになった時は感動し涙を流しました。小学校が始まってから多くの地域や多くの方々から支援の物資などをいただきとても感謝の気持ちが強かったです。震災のおかげでつながれた交友関係もありました。自分の地域の被害のほとんどは津波で正直、原発事故については遠い場所で起きていることという感覚が強くどこか他人事のように感じていました。しかし現在福島大学に在籍しており,このことについてもきちんと考えなければならないと感じています。街の外見の復興はもちろんですができるだけ早く被災した方々の心の復興が進んで欲しいと考えています。同じような被害を繰り返さないため当時の経験や記憶を大切にしなければいけないと感じました。また震災でつながれた人との縁も大切にしたいと考えています。

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