災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

東日本大地震が起きた平成23年3月11日

ペンネーム 大門小十郎
原発事故当時に居住していた市町村 新潟市
避難について 避難してない
家族構成 父、母、兄
投稿区分 学生である


 東日本大地震が起きた平成23年3月11日,僕はまだ小学生であったがその時の記憶はまだ鮮明にある。僕は新潟県新潟市の沿岸部に住んでいて海は毎日の通学で見るほど物理的にも感覚的にも近いし距離にあった。父親がサーフィンをしていた関係もあり波という存在も認知していたがその時までは人の命を奪いうる驚異的な存在であるという事は想像もしていなかった。東日本大地震が起こった当時,僕は学校で調理実習の授業を受けている真っ只中だった。新潟には,揺れも被害も無いようではあったがその日は早い時間に自宅に帰宅をした。そのような迅速な行動をとった事は,平成19年7月16日に起きた新潟県中越沖地震とも関係があるのかと思っている。この地震は新潟県中越地方沖を震源とする地震で死者15名,負傷者2,346名,住家全壊1,331棟,半壊5,710棟,一部破損37,633棟,建物火災1件という甚大な被害を被った。その時の教訓があり,即時帰宅,避難所の確認等が迅速に対応できたことが良かったと思う。自分自身は避難所での生活は,経験がないがテレビ等を通して見た当時の避難所の状況はとても窮屈なものだと子供ながら想像できた。突然に今までの生活が奪われ避難所での生活を余儀なくされてしまうのだから耐え難い苦痛だと感じた。

 その後まもなくして学年が上がり僕の小学校に転校生がきた。被災地から来た生徒だった。事前に被災地から来る生徒がいるという事は知らされていて,その上で生徒が不快に思うような事は,やらないように先生から通達がありもちろん誰もそのような事はしなかったが,その生徒は気を使われている事への影響から萎縮しているように思えて口数も少なかった。あの当時その生徒にどのような対応をすれば良かったのかは未だに分からない。他にも多くの被災地の生徒で別の学校に転校しなければいけない生徒は,多かっただろう。

 今年の4月震災後の原発事故以降,作業拠点となり休業していたJヴィレッジが全面再開して,聖火リレーの出発地点になるという事だ。復興五輪をテーマに掲げる2020年のオリンピックが福島にとって復興から更なるステップへの一歩となる事を願っている。

 

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