災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

2011年3月11日に発生した東日本大震災から8年がたった今,

ペンネーム スコフィールド
原発事故当時に居住していた市町村 広沢町
避難について していない
家族構成 父 母 弟 妹
投稿区分 学生である


 2011年3月11日に発生した東日本大震災から8年がたった今,時の経過と共にあの悲劇を忘れないようここで当時のことを今一度振り返りたいと思う。震災後はメディアでは毎日のように被害の状況を報道しており,人々は強い関心を持っていた。だが,現在は直接被害を受けていない人は全く興味を持っておらず,福島の今について県外の人は正しく理解していないと思われる。そこで,災害時県外にいた私が福島に来て思ったこと,分かったことを書こうと思う。

 

 私は群馬県の小学校で卒業式の練習を終え,体育館から教室に向かって歩いている時にそれが起こった。最初は経験したことのない大きな揺れに皆驚き,すぐさま校庭に避難した。今でもあの揺れの恐ろしさを鮮明に思い出せるが,福島での揺れは想像を絶するものだったと思う。幸いなことに,校舎に被害はなく,実家や親戚の家も無事でもちろん,死者は私の知っている人ではいなかった。その後も報道で被害がひどい地域の映像を見たり,計画停電があった程度で,震災の被害はそれほどに感じなくなっていった。そして,時が経ち大学受験で福島と関わりができた。

 

福島の大学に行くと決まった時,最初に周りの友達に放射能のことやまだ震災の被害があるのではないかと心配された。実際私も不安に思うところがあった。だが,実際に来てみるとそういった心配は全く感じなかった。放射線濃度は安全値で,復興が進んでいた。それなのに,群馬県にいた時には福島が安全で復興が進んでいることをあまり知らなかった。つまり,福島県外の人は福島の現状について何も知らないことがわかる。これが,震災から8年経った今の課題なのではないかと思う。

 これからは,福島産の食の安全性や,復興の進行具合についてもっと県外にも発信していくことが大切だと思う。福島の今について皆に正しい知識を持ってもらい福島の誤解や誤認をなくすことによって本当の意味で復興できるのではないかと思う。

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