災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

原発事故のあったとき,

ペンネーム Y. S.
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について なし
家族構成 (当時)祖父,祖母,父,母,妹
投稿区分 学生である


 原発事故のあったとき,自分はまだ小学生でした。原発のことは何も知りませんでした。原発どころか放射線も放射能も汚染もシーベルトも何も知らなかったです。ですからもちろん原子力発電所で事故が起こったということの重大さなど分からず,震災で断水が起こっていたので,あの中を,家族で,自転車をこいで,水を貰いに行ったりしていたなんてことを知っても危機感はさほど感じませんでした。あの後,突然,学校で放射線の授業が始まって「どうしてこんなことをするんだろう。」と思ったくらいです。

 前置きが長くなりましたが何が言いたかったかというと実感が持てなかったんです。危険性が分からなかったんです。事故が起こったことを数日隠されていたことを知ってもそれがどうしたくらいのものでした。今思うとなんてのんきに考えていたんだろうと思います。ただ,放射線の影響が実感しづらいのも事実です。避難までしたわけではないですし,放射線自体も目に見えない,病気になってもそれが原因かどうか判別出来るわけでもない,直接的な実害は庭で育てた野菜を食べるのをやめたことくらいです。目に見える震災の問題で忙しかったということもあるかもしれません。

 正直今も危険性は理解しても実感は薄いのではとも思います。不安はと聞かれると不安をしっかりとした不安として捉えられていないのではないかということが不安です。

 他にも原発問題は汚染水や風評被害など付随した問題を起こしています。捉えづらい,解決しづらい問題ばかりですが一刻も早く心配をしないで過ごせるような状況になって欲しいと思います。

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