災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

福島県に住んでいます。

ペンネーム K. S.
原発事故当時に居住していた市町村 大玉村
避難について なし
家族構成 曾祖母(当時)、祖母、祖父、父、母、妹、自分
投稿区分 学生である


 私は福島県に住んでいます。東日本大震災が起こった時は11歳でした。そして幸い避難することもなく生活することができていました。自分自身は今日まで直接的に影響を受けたという自覚はありません。 但し,よく考えてみると間接的な影響は計り知れないものだと気付きました。それは復興,再生という言葉が常に意識されるという事です。

 私は地元福島を離れて就職するか,生きていくか迷っています。大学は福島を選びました。しかし都会への,刺激的な環境への憧れは捨て切れません。そういう時に復興という言葉が重くのしかかるのです。向上心を持って地元を離れようとすると,やらなくてはいけないことから逃げているような罪悪感があります。しかし,現状を維持して地元に残ろうとすると未来に不安を感じます。私にとって,向上心と現状維持の精神は相反するのです。

 自分が今の状況から感情抜きに考えると,福島県に必要なのは向上心を持ちながらも,地元に留まってくれる人材だと思います。はっきり言うなら高い学力,地位,経済力を持つ 又は望みながらも,大都市圏にあえて進出しないという事です。今の社会を見れば,矛盾していると感じます。相当な実力を状況的に求められていると思います。個人には震災により重い使命が課せられたとも思います。

 個人の戦術的成功が組織の戦略的状況を一変させるのは奇跡だと思います。 私はこの事実に絶望しかけています。震災後,若者は声に出さないまでも感じているのではないのでしょうか?復興が完了する日は来るのでしょうか?風化により問題が忘れられる日が来るのだと思います。全国のニュースを見ると世論はオリンピック,芸能人,叩く対象を ,ストレスのはけ口を求めています。でもこれは何も驚くことではなく,多数の幸福が優先され,少数異見は尊重された結果です。

 私はこれからの生活で私は最善を尽くそうと思います。そして今回福島に住む者として発信できることは「まだまだ辛いし,息苦しい」という事です。

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