災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災当時

ペンネーム
N. S.
原発事故当時に居住していた市町村 三春町
家族構成 父、母、弟
投稿区分 学生である


 震災当時,私は小学五年生でした。地震があったとき,不謹慎ながらも非日常なことが起こったことに私はとても興奮し,外に飛び出して親から怒られるまで地震だと叫びながら家の周りを走りまわった記憶もあります。最初のうちは,学校が休みになることに喜びをおぼえていましたが地震や津波での被害,そして原発事故が起こったというニュースが流れてから危機感を持ち始めました。最初はニュースで原発なんて言われても何のことだがさっぱりでしたが,一緒にニュースを見ていた母がとても怖い表情をし,三歳になった弟を抱きしめながら「外には出るな,がんになって死んでしまう」と言うものですから,みんな死んでしまうのだと不安になり泣いたおぼえがあります。それから外には出ませんでしたが,たまに食料を求めて近くのコンビニやスーパーに行きました。もちろん,コンビニやスーパーに行ったところで商品棚は,すっからかんでほとんど食べ物はなく,色々な店を転々とまわったりしました。

 そこから数年たってSNSやニュースで県外へ避難した人に対していじめが起こったという話題があがりました。その当時,私は県外の人たちに対して恐怖を抱きました。もし,私が今福島を出て県外に行ったとして出身地が福島だとばれたらこのニュースのようにいじめられてしまうのではないかと思ったのです。しかし同時に恐怖だけではなく強い怒りもありました。東京や都会に送っている電気をここで作っていて事故にあったのに今までその電気を使っていた人たちが私たちを汚物のように扱うのがどうしても納得できなかったことをおぼえています。今でこそ,みんながみんなそんなことはないとわかっていますが,いまだに私は知らないコミュニティに入って出身地を聞かれると身構えてしまいます。仲良くなれても福島出身だとわかると態度が変わるのではないか,そんなことを考えてしまいます。

 あれから八年経っていますが,たぶん私はこれからも昼間に近所のコンビニに行ったら商品棚に物が無かった時を思い出してしまうだろうし,県外の人に出身地を聞かれたら緊張してしまうだろうなと思います。

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