災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

東日本大震災が起きた2011年3月11日

ペンネーム T. M.
原発事故当時に居住していた市町村 いわき市
避難について 神奈川県に小学校が始まるまで避難
投稿区分 学生である


 東日本大震災が起きた2011年3月11日,当時僕は小学5年生でした。放課後,学校の校庭で登校班毎に集められていたときに地震は発生し,先生方が慌てて校庭や校内にいる生徒たちを集めて安全を確保しようと走り回っていました。そのときは,地割れや体育館崩壊はあったが,たいしたことはないのだろう,時間が経てば結局元に戻るだろうと思っていました。しかし,家に帰ってからテレビで被害状況や規模などの情報を得て,地震による本当の被害というのを思い知ることになります。断水や食料不足もそうですが,原発事故による風評被害はひどかったと覚えています。被害があったときはいわき市に住んでいましたが,原発による避難指示区域が拡大していき,危険な可能性があるため神奈川県の従兄弟の家に避難することになりました。そこへ向かう道中で車のナンバープレートを見て,福島から来たのかと顔を見られることもあり,車の前を通る人は車を見ながら何か話していましたように見えました。被害妄想かもしれませんが当時はそう感じたことを記憶しています。従兄弟の家に着いてからは学校が始まるまでずっとお世話になりました。今考えれば,いきなり訪れて長い間避難させていただけたのは簡単にできることではないので,心から感謝したいです。そのおかげで,私たちの家族は特に不自由なく生活を送ることができたと思います。学校が始まると,原発によって住む場所を失った生徒がたびたび転校してくるようになり,同じ学年では5人くらいはいたと思います。しかし,原発のことに触れていいのかよく分からず,生徒同士で距離を置いて接している感じがあったように見えました。だからといって,いじめがあったわけではないのですが,表面上仲良くしているだけのような感じがして気持ち悪い感覚でした。私自身,直接大きな被害があったわけではないですが,原発事故が引き起こした複雑な人間関係は肌で感じました。今日でも,原発があったから福島に行きたくないと思う人は少なからずいると思うので,そういう考えが完全になくなっていってほしいなと思います。

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