災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

自分は震災当時の2011年3月11日

ペンネーム
原発事故当時に居住していた市町村 栃木県小山市
避難について なし
家族構成 父、母、姉
投稿区分 学生である


 自分は震災当時の2011年3月11日は栃木県に住んでいました。そこで,11歳の時に被災してから数日後に子供ながらテレビのニュースを見て,福島の原発が何か危険な状態に陥っているのではないかということを僅かながら感じとりました。もちろん,当時の自分には専門知識も何もなく,何が起きているかは理解しきれない中でもそのニュースの緊迫した状況だけは今でも覚えています。
   震災からしばらく経った頃,勿論原発のニュースも耳に入っていたものの「自分には関係ないだろう」と,聞き流していることも多いまま毎日を過ごしていて,原発事故の大きさを知ってからも自分から何か調べようとしたことは少なく感じます。
   しかし,「自分には関係ないだろう」と思っていた私が大学に進学する際の候補に福島の大学があったことから,自分の予想以上に身近にその問題は存在し,そしてこれは日本に住む全ての人に当てはめられることではないか,それと同時にどうして自分は今まで見て見ぬ振りをしてしまっていたのかという後悔が押し寄せました。勿論,幼い頃の私がどうにか頑張ったところで技術的な面での問題の解決に直結はしません。しかし,自分はどうせ誰かがなんとかしてくれると考えてしまう人が自分の他にも大多数いるのではないか。このような人が増えてしまうとより悪い方向に結果が向いてしまう。更に,この考えは実際に被災して不自由な暮らしを送っている人や,今も支援を必要としている人に関しても結果的に無視をしているのと同じことなのではないかと,身近に事故を感じてからやっと気付きました。
   時間の経過とは恐ろしいもので,当時は事故のことを多くの人が気にかけていたとしても,年々それは減少していってしまうでしょう。それを防ぎ,事故のより良い復興を志す為にも,人々はその事故を忘れてはならずに,被害にあった人々と手を取り合い未来に向けて自分の力で考えていくことが重要なのだろうということが分かりました。今後も,自分の身の回り以外で何か災害があった場合にもしっかりと考えて,手助けしていけるような人間になりたいです。

▲ ページ上部へ戻る