災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

東日本震災直後

ペンネーム
H. K.
原発事故当時に居住していた市町村 岩手県
避難について なし
家族構成 父,母,祖父,祖母,長兄,次兄
投稿区分 学生である


 東日本震災直後,私は福島県の隣の岩手県内陸地方に住んでいました。友達の家で遊んでいたとき,突如として大きな揺れが襲ってきたのを今でも覚えています。震災が起こってからテレビはニュース番組ばかりで,その時に見たニュースで福島の原子力発電所の事故をなんとなく知りました。当時は,隣県で事故が起こって大変だな,こっちに被害が来なければいいなとぼんやり思っていました。震災から7年経って,私は福島大学に入学しました。原発のことはもう心配していませんでした。7年も経っているから安全だろう,異常はないだろうと思っていたのです。しかし福島未来学という講義を受けた時,原発事故は過去のことでも,残った放射能汚染や偏見で苦しんでいる人たちがまだ大勢いることを学びました。何回もの汚染検査を合格してやっと出荷ができる農家の人の話,原発事故によって避難を余儀なくされ今も家に帰れない人の話を聞いて胸が痛くなりました。安易に,もう復興なんてとうの昔に終わっているだろうと思っていた自分が恥ずかしくなりました。それから,原発事故についてインターネットや書籍で調べました。あの時福島にいなかった自分こそ,福島について関心を抱くべきだと思ったからです。そして,何年も昔の話であっても決して忘れるべきではないと思いました。震災から今年で8年になりますが,福島の今を知らない人々に福島のことをもっと知ってもらいたいというのが私の今の気持ちです。

▲ ページ上部へ戻る