災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

もう8年以上前ではありますが,

ペンネーム Y. I.
原発事故当時に居住していた市町村 青森県五所川原市
家族構成 父、母、私
投稿区分 学生である


 震災,また原発事故当時私は小学五年生だったと記憶しています。もう8年以上前ではありますが,あまりの衝撃的な出来事に,今でも当時のことを鮮明に覚えています。

 住んでいた場所は福島から遠いものの,大地震で大きく揺れ,丸一日停電していました。そして,電気が復旧した後目に飛び込んできたのが福島原発が水素爆発を起こしたというニュース,そしてその映像でした。津波や地震の被害が騒がれる中,あまりに非現実的な出来事にしばらく理解が出来ませんでした。青森にいた私がここまで衝撃を受けたのですから福島の人たちは大変な状況で,心理的精神的な衝撃も計り知れないものであったのだろうと思い,今でも思い続けています。

  去年の春,私は福島にやってきて住み始めましたが,時間が経っていることもあり,特に震災や事故の影響を感じることはありません。しかし,依然として事故の影響で長引く問題は存在しており,私も1度放射能による汚染土を保管している場所を見学する機会があり,そのような暗い面が垣間見えます。他にも街中に設置してある放射線の測定装置など,忘れてはいけないことではありますがどうしてもなくならない現実があります。

  そして,私が最も気にしているのは,福島という県,またそこに住む人達に対して,全国の人が震災や原発事故による被害を受けたいうただ一つの視点からしか見られていない現実ある,ということです。もちろん,物理的な復興は国が総力を挙げて行い続けていますが,完全な復興には人々の考え方や見る目といった精神的な部分が含まれていると考えています。具体的には福島産の食材や福島への観光といったどうしても頭の片隅に意識してしまう事故の影響,風評被害というものをなくす必要があるということです。そのためにも震災・事故の真実,そして福島の今を全国に発信していく必要がこれからもあると思っています。

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