災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

ずっと心にふたをして

ペンネーム 本当の空
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について 春休み、夏休み期間中のみスポット的に子どものみ避難
家族構成 核家族(夫単身赴任中)
投稿区分 母親である


 ずっと心にふたをして過ごしてきました。

一方で、「このままではあのとき私たちが味わった得も言われぬ未曽有の複雑体験って、何もなかったことにされるのだなぁ。あんな胸をかきむしるような絶望感も各々の胸にしまったままであれば『無かったこと』なんだ。歴史とは表面上にあがってきたトピックスだけをつないだ年表だったんだ。」と、あ然ともしていた。

 

 「汚染」というワードにひどく傷ついた。大好きなこの福島の大地も空も、いつも通りけなげに咲いている庭先の草花も、子どもたちの存在さえ世間からは「汚染」といわれている気がした。しかも突然!

全く想像したこともない初めての事態に直面し、悲しみ、怒り、悔しさ、不信、不安、失望、憤り、悲観、責任感、困惑、体裁、裏表、孤独...持ち合わせている言葉では表現しきれない感情ではちきれそうだった。一人になれる唯一のタイミングである朝の通勤路、歩きながら電車に乗りながらも毎朝毎朝涙がはらはらとほほを伝った。

 

 それでも生活は待ったなし。小学生の息子をどうにか屋内にとどめようと段ボール箱でマンガ本を与えつつ、自分は今日食べさせる食材のことに必死。付け焼き刃で放射能の本を読み新聞を読み,産地や効能を考えながらスーパーの中を何周もグルグル。近所の野菜を断る罪悪感と年配者には共感してもらえないむなしさ。この食べ物をこの量食べさせて本当に将来健康に害は無いのだろうか?とよぎりつつ、でも子供の前で不安は顔に出してはいけない。

 見たこともない器具での健康調査や、どこに反映されているのか実感がわかないアンケートばかりが次々と始まったが、理解できる説明や信頼できるサポートには巡り合わなかった。と言うかすでに何もかもに対し不信感いっぱいだった。

 それでも福島のお母さんたちは、一人ひとり違う住所や立場、考え方を繊細におもんばかって、お互いに心の奥底を吐露することはしなかった。多くの人はただ一人じっと耐えていた。

 その年の秋頃だったか娘の通う中学校で修学旅行の説明会があった。関東方面を予定していたが、安全を考慮して中止したい先生方とやはり行かせてあげたい父兄の間で話し合いになった。ふだん冷静温厚で笑顔絶えない男性教諭が、「地震の再来もさることながら、生徒たちが福島の制服を着て東京に行ったらどのような扱いを受けるともわからない。正直守り切れるか自信が無い。」と目に涙をためて熱く語られているのを見た時、あぁ苦しんでいるのは私だけじゃないんだとあらためて気づいた。

 今、成人したわが子たちの成長を振り返ってみても、私の精神的ゆとりのなさや環境的不安の中で、さんざんな青春時期を送らせてしまったなぁと悔やまれる。

 

 記憶って思い出した時点が最新になってしまうことを本能的に知っていたのかもしれない。この機会に当時を振り返り出したとたん動悸・手がしびれ始まり自分でも驚いた。なぜずっと心にふたをしたまま暮らしてきたかやっとわかった気がした。

 福島にはこんなお母さんがたくさんいるということをどこかに著しておかなければならないと考えたのと、このような思いをする出来事がこの世の中に二度と起きないように。それだけのために今回投稿を決意した。

 私たちの胸の中にある混沌としたデブリに半減期は来るのか。

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