災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災時、私は

ペンネーム
I. N.
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について 避難無し
家族構成 父、母、姉
投稿区分 学生である


 震災時、私は小学校の体育館にいた。避難するために校庭に逃げた。天気が良くなくて、雪が降る中友達とかたまって教員が情報を提供するのを待つことしかできなかった。情報がない状態をその時は、不安に思っていなかった。集団下校の際、地面のひび割れやブロック塀の崩れた様子を見てとても混乱した。今まで見ていた通学路が別のものになったようで、怖かった。荷物を持たず、上履きで滑る地面を歩いて帰宅することに、これからどうなるのだろうという不安が押し寄せてきた。家に帰宅後、何回も来る余震がとても不安だった。いつになったらこの状態は終わるのだろうかと思っていた。次の日水道が止まり、水が出なくなった。買い物に行ったが店の外には大勢の人が並んでおり、長い時間並んだ。店に水を買いに行っても、品切れで食料も空の棚だけが並んでいる状態だった。家には偶然にも、保存食やお菓子が少しあったためライフラインが開通し、店に商品が並ぶまで持ち堪えることができた。学校からも電話がなかなかつながらなかったため、教員が一軒一軒児童の家を周っていた。本来なら、残された小学校生活を満喫しているはずだったが、震災の影響で卒業式は中止になり、とても悲しかった。断水はしばらく続き、生活用水を確保するために、近所から地下水を分けてもらった。このとき近所付き合いの大切さを感じた。私の家は病院が近くにあったため、4日程度の断水ですんだ。幸いにも、停電がなかったため断水が終わればほぼ今までと同じような生活を送ることができた。

 震災では今まで体験したことのないような出来事ばかりで、不安があった。それは、子供も大人も同じだったと今考えると感じるところがある。それでも、近所で協力し合い困難に立ち向かい支え合うことで不安や恐怖から脱出できたのではないかと考える。

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