災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は、被災当時小学生だった。

ペンネーム S. O.
原発事故当時に居住していた市町村 宮城県角田市
避難について 避難していない
家族構成 祖父母、伯父家族、母、弟
投稿区分 学生である


 私は、被災当時小学生だった。学校にいる時で、先生に「頭を守りなさい!」と言われたことを覚えている。その後、校庭に避難し先生たちの付き添いのもと家に帰った。電気がつかないことで、テレビも見ることができない状況で自分はこれからどうなるのかという不安が大きかった。しかし、まだ現状が把握できていなかったと思う。次第に、車のテレビで見たり、ラジオから原発のことが言われるようになった。私は県外にいたため、そこまで制限があったわけではないが、この先もしかしたら避難するかもしれないという不安があった気がする。放射線の影響があるかもしれないからと、家の外に放射線を簡易的に測るシールのようなものを貼ったりもしていた。外に植えてある野菜なども摂取が控えられた。地震が起きたことで、原発事故が発生した。今まで普通に生活していた日常が、急に非日常に変わることは不安や恐怖があると考えられる。だからこそ、このことをどんどん受け継いでいく必要があると考える。そして、道路や建物を直していくだけでなく、震災の被害にあった人々の心を癒し、町全体を復興させていくことが求められていると考える。

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