災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

東日本大震災当時、私は下の娘の妊娠中で臨月でした。

ペンネーム R. F.
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について 2014年3月末まで仙台に避難、その後、福島に戻る
家族構成 夫、息子(中3)、娘(小2)
投稿区分 母親である


 東日本大震災当時、私は下の娘の妊娠中で臨月でした。大きなお腹を抱えながら、当時幼稚園年長だった息子の手を引いて、地震で揺れる中をなんとか自宅へ帰ったことを思い出します。フルタイムで働いていますが、震災前から取得予定だった育児休暇がありましたので、震災後は職場のある福島から離れて、主人の実家の秋田で半年間、暮らしました。その後、職場へ通勤可能な仙台に転居して、3年後の2014年3月末に福島に戻ってきました。

 祖父母や両親に支えられて暮らした秋田での半年間は、それからの生活を思って涙が出ることも多かったですが、温かい家族に囲まれて暮らした初めての体験でもあり、今ではかけがえのない思い出になっています。

 半年を過ぎ、職場へ復帰する時期が近くなると、福島に戻るかどうかを何度も悩みました。その時、当時小学1年生だった息子が生活科で「生きるとは何か」を学んで帰ってきました。息子曰く「おたまじゃくしはカエルになる、生まれてきた妹は、赤ちゃんだったのに、ハイハイができるようになった。だから生きるっていうのはね、変わっていくことなんだよ」と話してくれたのです。息子のその言葉に背中を押されて、私たち家族は仙台に転居することを決めました。不安だったら、無理せず仙台に住もう。不安がもっと小さくなったら、その時に福島に戻るかどうかを考えればいい。今すぐに決めなくても、住むところも、生活のスタイルも、その時々で変えていけばいいじゃないかと、そんな風に思えるようになりました。

 紆余曲折を経て、震災の体験から学んだことは「変化を恐れないこと」だと感じます。震災がなければ、急に転居することも、自分たちの生活のスタイルを変えることもなかったでしょう。災害によって変化せざるを得なかった体験ですが、その体験によって、どんな形でも生活していける...という自信がついた気がします。

 除染の土の山を見たり、甲状腺検査の通知を見たり、福島市での生活の中には、まだまだ原発事故の影響が残っていると感じます。全く不安がないという訳ではないけれど、この不安を抱えながらも、不安になりすぎず、その時々で柔軟に対応していけたらいいなと思います。

 最後に、秋田と仙台の生活を経て福島に戻ってきた家族ですが、家族みんながやはり福島の生活が楽しいと言います。秋田も仙台も、それぞれに良いところはありましたが、私たち家族が気持ちよく生活できる場が福島なんだということも強く感じることができました。これからも福島で楽しく生活していけるように、自分たちに出来ることを頑張って行きたいと思います。

 

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