災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

「原発事故さえなかったら・・」



 「原発事故さえなかったら・・」事故後、何度も何度も思ったことでした。

 当時は、福島市内で9歳(小3)と0歳の子育てをしながら育休からの復帰準備を進めていました。現在、子どもたちは、18歳(高3)と9歳(小3)。ほんとうに大きくなったなぁと思います。その間、震災直後(3月末)には西日本の実家に一時避難しましたが、4月に子どもたちの小学校・保育園開始とともに福島に戻り、職場に戻りました。

 震災当時は福島居住3年目でしたが、事故後の一年ほどは、福島で生活させている子どもたちへの罪悪感と健康、将来への不安でいっぱいでした。不安を煽る情報もたくさんありました。実際にアパートの庭の放射線量に衝撃を受け、引っ越ししました。福島で子育てし、長く働くことを考え、本当は一軒家を探していましたが、頓挫してしまいました。

 食べ物の産地や飲み水を気にしましたし、遊び方や学習活動にも大きな影響が出ました。今思えば、「怖い」という気持ちがあちこちであふれてしまい、変な空気に満ちていました。学校も混乱していました。水泳、運動会やフィールドワークも出来ず、植物を育てる活動も中止でした。園では幼い子どもが大好きな水たまり、虫、落ち葉やどんぐり、雪を「拾わないで、さわらないで」と言って室内遊び場にいる自分をおかしいと思いながら過ごしました。普通、親は子どもを守るために、道路の右側を歩く時には、車から守るために子どもを右側にして左側に寄り添います。でも、側溝はホットスポットだと知ってからは、子どもを左側に歩かせました。小学校の七夕で「(転校してしまった)お友達とあそびたい」と書かれた短冊を見た時には涙が出ました。2011年度は、避難される友達が多く、寂しい気持ちでしたし、「うちは避難しなくてよいのか」と気持ちがざわざわしました。世界中からたくさんの励ましやあたたかい支援があり、ありがたく思いました。原発で働き続けてくれている方々のことも心配でしたし、県内にはもっと大きな被害を受けた方々、風評被害で苦しい方々も近くにいることは理解していました。家族も無事で、幼い子がいる幸せな時期だったはずですが、こんな事故がなければ・・と思うことのほうが正直多かった日々でした。

 それでも、自然が豊かな福島に大好きな仕事もありましたし、大切なつながりもできてきたところだったので、この地で子育てをしていく覚悟は震災後1年くらいでできていた気がします。そして、ここ数年、しばらく311震災について深く考えることなく時を過ごしていました。それ以上に目の前にはやらなければならないことが山ほどあったからです。また、あの大変だった時を共に過ごし、子育てを支え合ってきた仲間に出会えたことは、幸運だったと思います。また、子どもたちのために県内外、世界中のたくさんの大人が動き、励ましが届け続けられていることには、感謝しています。

 でも、ふとした瞬間に、事故がなければ、福島でなければ、こんなことは起こらないのだという思いはよぎります。まだまだ事故は時間を超えて影響するし、原発のある国で生活するということは、そういうことがこれからも誰かの身に起こりうると言うことなのだと思います。

 1000字を超えてしまい、すみません。長い文をここまで読んでさった方、どうもありがとうございました。

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