災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

祖父母の家は浪江町の山奥にあり、

ペンネーム まみむ
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について 避難はしていません
家族構成 母・父・長男・次男
投稿区分 学生である


 私は震災時、小学六年生でした。校舎の三階で卒業式の練習をしていた時に震災が起こりました。先生たちが私たちを守ろうと必死になっていたこと、母が泣きながら小学校に迎えに来てくれたことを覚えています。揺れはすごく怖かったです。私に震災もしくは震災によって起きてしまった原発事故によって何かしらの心理的ストレスがあるとすれば、それは祖父母の家に立ち入れなくなってしまったことです。

 祖父母の家は浪江町の山奥にあり、自然豊かな場所で私の大好きな場所でした。震災前はお盆休みやお正月に親戚などが多く集まり、賑やかでとても楽しかったです。空気や水も美味しく、夏はトンボやカブトムシなどの昆虫採集、冬は近くの坂でスキーやソリ滑りをして遊んでいた記憶があります。また夏には外でバーベキューをして、皆んなで花火をしました。どれも恒例行事となっていてとても楽しかったし、楽しみにしていました。

 しかし震災の原発事故により、祖父母の家は現在も帰還困難区域にあります。当時小学生の私はこの状況を理解できず、簡単にしばらくすればまた祖父母の家に行けると思っていました。しかし時が流れるにつれて私は状況を理解し、祖父母のあの家で震災前のように賑やかで楽しい時間を過ごすことはもう二度とできないと思い知らされました。

 

 現実を思い知らされたのは昨年の夏、祖父や母と一緒に一時帰宅という形で約8年ぶりに祖父母の家へ行った時です。震災で家が崩れることはなかったですが、約8年人がいないとこんなに草木が生えるのかというくらい、辺り一面別な風景でショックでした。家の中はカビ臭く、もちろん片付け等はしていても家具などが倒れ荒れていた部屋もありました。これが現実か...とひどく心打たれたのを覚えています。

 

 現在祖父母は福島県内に新居を建て、元気に生活しています。新居を建てる前は仮設住宅での生活でした。震災前のように戻ることはできませんが、今でも時にふと、あの頃に戻りたいと思う時があります。ですが、祖父母が元気に過ごしていることが今嬉しいです。現在の状況を楽しく前向きに向き合いながらこれからも新しい祖父母の家に遊びに行きたいと思います。

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