災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災発生後の原発事故は

ペンネーム N. O.
原発事故当時に居住していた市町村 宇都宮市
避難について 避難なし
家族構成 4人家族
年齢 20歳代


 震災発生後の原発事故はテレビで知ることとなった。その当時は小学生であったこともあり何が起きたのかをその瞬間はよく理解していなかった。

 その後、様々な報道で原子力発電所が壊れた映像や周辺住民が避難に追い込まれている状況などが伝わったため、事態の深刻さを痛感した。また放射線が原子力発電所から漏れ出た影響により基準値を大幅に超えた地域や農作物ができてしまったという報道を聞いて、安全・安心が脅かされてしまった未曽有の災害なのではないかと考えた。

 自分が通っていた学校では福島県から避難してきた学生などはいなかったが、支援物資を届ける活動は行っていたため、他人事として扱うことは到底できないという姿勢を持った。

 大学に入り、しばしば原子力発電所の事故に関する講義を聞く。事故からおよそ10年たった今でもその爪痕はしっかり残り続けていることを学び、同時に復興に向けた様々な思いや活動を行ってきたことも学んだ。中でも印象に残った言葉としてネガティブになりすぎてはいけない、かといってポジティブに捉えすぎてはいけないという言葉が印象的だった。福島県が完全に元に戻ったということは決してないため現在の状態や不足している点などを知ってもらうことが必要である。しかしあまり否定的な印象ばかりを前面に押し出すと福島の活気がなくなってしまうことや、風評被害が残り続けてしまう点などの問題が発生する難しい状況に置かれているとその講義では言っていた。あまりにも多くのヒト・モノに影響を与えたため非常に繊細な問題に発展してしまったというのが原子力発電所の事故が引き起こした一番の問題であると考えた。

 これまでの10年間で福島県は様々な面において原子力発電所の事故前の水準に戻すことを目標に様々な施策を行ってきていた。今後の10年間は原子力発電所という言葉を意識しすぎないようにしていく必要があるのではないかと考えた。様々な産業が成長するうえで特定の期間の状態に固執してしまうことは成長の足枷となり得るためいい意味で原子力発電所を忘れられるような状況に持っていくことが重要なのではないかと推察した。

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