災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

原発事故が起きたとき

ペンネーム n
原発事故当時に居住していた市町村 三春町
避難について していない
家族構成 父、母。弟
年齢 20歳代


 原発事故が起きたとき、当時、私は小学5年生で原発もよく分からないまま、ただ癌になる可能性があると言われ外を出歩かずにひっそりと家で過ごしていました。また、三春町では甲状腺がんを予防するためにヨウ素剤が配られた記憶もあります。久しぶりの学校はあまり外で遊べず、学校から配られた放射線計測器のようなものを首から下げて登下校をおこなっていました。小学校のクラスのみんなで大きな施設に行き、体内の放射線量を測定しに行ったおぼえもあります。ニュースで県外に避難をした福島県民に対するいじめについて問題が取り上げられてもいたのも見ました。放射線が移ると言った扱いをされる等のいじめだったそうです。そのニュースを見たときに、県外に行ったらいじめられてしまうのではないかといった不安がありました。今でも、色々な人とのコミュニティにおいて自分が福島県民であることはあまり知られたくないです。

 当時の私は放射線については全く分かっていなくて癌にさせる身体に害のあるもの、原発事故で外にそういったものがあちこちにばらまかれている、そんな認識でした。そこから年が経つごとに当時の原発事故について理解できるようになっていきました。そして事故からもうすぐで10年経つというのも、今振り返れば早く感じます。ほとんど理解してないまま親や先生などの大人の指示に従うだけだったから早く感じるのかもしれませんが。今ではもう東日本大震災や原発事故の話題はあまり見かけなくなりました。

 ただ、この原発事故を通して、私たちは色々なことに関心を持ち、知識を増やしていくことが大事なんだと私は思いました。当時の原発事故を理解するにあたり、なぜ、原子力発電をおこなおうとしたのか、チェルノブイリのような原発事故が起きる可能性を考えなかったのか色々な疑問がありました。しかし、当時の原子力発電の説明やCMをみると、原子力発電のメリットだけ強調されており、原子力発電所においても耐震性がしっかりしている等の説明がされていました。それを私たちは鵜呑みにしていたのだと思います。これからの私たちは自分で正しい情報を選び受け取らないといけないと思います。私たちが生きていく上で使うものならば尚更、知識をもつことが重要だと思います。

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