災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

2011年3月11日

ペンネーム K. K.
原発事故当時に居住していた市町村 群馬県富岡市
避難について なし
家族構成 父・母・姉・自分
年齢 20歳代


 2011311日。その日はいつも通り登校し、授業を受けていた。その時が来るまで地震がどのようなものであるかさえ知らずに生活していたが、その数秒ですべてを実感した。私が住んでいたのは震源地からは少し遠い地域であり、幸いにも建物や地形に影響を及ぼすほどの揺れを観測することはなかった。しかしその日は電気が使えず、当時テレビでしかニュースを見たことがなかった私には東北地方の海沿いの地域がどのような状況になっているのか知りえなかった。当時の私はあまりにも無知であった。津波の脅威も、日本には原子力発電所が存在することも。もちろん地震に対する避難訓練を学校で行っていた。しかしすぐに動くことができなかった。この揺れが何かわからず地震であると理解することができなかった。それは東北の学校でも例外はなかったはずである。地震を経験したことのないものは大きな地響きに怯え、対応が遅れただろう。津波を経験したことのないものはどこに逃げればいいかわからなかっただろう。原子力発電所に津波が到達する予想すらできなかったのだから無知であったのは私だけではない。世界中の人間がこの災害を予測し、対処しておくことができなかったのだ。歴史は繰り返す。日本でも数々の災害を経験しているにも関わらず毎回多くの被災者が出る。テレビでは「未曽有の災害だ」と繰り返す。私たちは学ばなければならない。災害に備えた環境整備を、災害発生時の最適な対応を。被災して初めて知るのでは遅すぎる。マスコミによる大仰な報道により放射線の脅威に怯え不安な日々を送った人がいる。津波や放射線によって帰る家がなくなった人がいる。避難先でいじめを受けた人がいる。これらはきっと初めてではなかったはずだ。チェルノブイリ原発事故があった。阪神淡路大震災を経験した。私たちはそこから何を学んだのか。そこで学んだことを後世に伝えたのか。これほどインターネットが普及した今でも災害による被害は抑えられないのはなぜか。今がこのジレンマを打開するときである。自分の意見を自由に発信できる今だからこそ声を上げなければならない。少なくとも日本は災害の絶えない国である。また大きな地震が、津波が起こることはおかしなことではない。次の災害による被災者が減ることをただただ願い、10年目を迎える。

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