災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災当時

ペンネーム S.
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について なし
家族構成 父、母、姉、自分
年齢 20歳代


 震災当時、私は小学5年生でした。テストを行っている最中に、地震が発生し、机の下にもぐりました。下から押し上げてくるような揺れで、何度も机に頭がぶつかりました。机の下から混乱した様子の担任の先生や、バタバタと物が揺れ、倒れる様子が見え、これは現実なのだろうかと不思議な気持ちになっていました。揺れが落ち着くと校庭へと避難し始めました。その後保護者が迎えに来ることで子どもたちは下校することができました。

 家に帰ると、震災の影響を徐々に感じ始めました。食糧不足、断水などをはじめ、電話の回線が混み合い電話もできない状況でした。これによって祖父母の安否が確認できず、不安がありました。余震も多く、またあの時のような大きな揺れになるのではないかという恐怖を感じました。その後、少しずつ情報が入ってくるようになると、原発事故のニュースが入ってきました。放射線がどのようなものかもわからず、見えないものでしたが恐怖を感じました。そして福島に住んでいるというだけで危険な存在だとみなされるような風評被害も報告されるようになり、今後は県外に行くこともできないのだろうかと思うこともありました。

 学校が始まると、校舎は崩れて危険な状況であったため、最初は体育館で授業を行っていました。体育は外ではできないため、体育館のごく一部を利用した形で実施していたため、のびのびとした運動はできませんでした。プレハブの校舎が完成すると、その中で学校生活を行うようになり、今までの校舎より殺風景だなあという感想を抱きました。

 このほかにも、震災を通して様々な経験をすることになりました。これらの経験の中でも、辛かったこと、役に立った情報、方法については特に、今後震災が起きた際に生かしてもらえるよう伝えていくべきであると感じました。

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