災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

当時小学6年生だった私

ペンネーム S. A.
原発事故当時に居住していた市町村 青森県三戸郡南部町
避難について なし
家族構成 父、母、弟
年齢 20歳代


 当時小学6年生だった私は、電気が復旧してすぐにつけたテレビで、福島の原発事故について知りました。子供心になんだか大変なことが起こったことはわかりましたが、本当の意味でのことの重大さについて知ったのはそれから7年後、私が大学進学のために初めて福島県に移り住んでからでした。町中に設置された線量計、テレビの気象情報とともに知らされる「今日の放射線量測定値」、地元では1日停電した程度で周囲への被害もあまりなく、とうの昔に終わったものだと思っていた東日本大震災が、ここ福島では終わっていないのだということに動揺を隠せませんでした。

 私は福島の現状を知りたいと、福島大学の「むらの大学」という授業へ申し込み、当時半年前に避難指示が解除されたばかりだという南相馬市小高区を訪れました。津波の被害もさることながら、長年の避難指示により人が消えた町の荒廃の様子と、帰還した住民の方々の悲しみを抱えながらも明るくお話される様子のちぐはぐさにどういう気持ちでいるべきか、私にはよくわかりませんでした。その後2年半私は小高区に通い続けイベントを手伝ったり、交流会を主催したりとなにか住民のために活動したいと仲間と協力してやってきましたが、「そうやって気にかけてくれている人がいるだけでありがたい」と労ってくださり、逆に多くの助力をいただき住民の方々の温かさや強さを実感しました。結局、よそ者である私ができたことはあまりなかったように記憶しています。

 ただ、私の考えは大きく変わりました。生まれ育った地元のために一生懸命活動する多くの方々と行動を共にし、復興してやる、まちを盛り上げるのだという強い意志に心を打たれました。私も自分の地元のために働きたいという思いが強くなり、Uターン就職をすることに決めました。春からは地元のために働きます。

 私は偶然福島にやってきましたが、一度来てみたからこそ、原発事故の影響の大きさ、福島のひとだからわかる生きづらさ、そして東日本大震災はまだ終わっていないことを肌で実感することができました。私のように今まで福島に縁がなく、どこか遠い場所、原発事故は他人事だと感じている人はたくさんおられると思います。ぜひ一度福島にいらしてください。そして遠くからでも少しでも福島を気にかけてくださるとうれしいです。

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