災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は震災の時

ペンネーム T. A.
原発事故当時に居住していた市町村 猪苗代町
避難について 避難はしなかった
家族構成 父・母・姉・姉・兄
年齢 20歳代


 私は震災の時、中学校の卒業式を終えて家に帰っていました。大きな揺れの後テレビをつけたら、東北に甚大な被害があったこと、そして福島第一原発事故が起こっていることを知りました。その時、私は原発事故が起きたことはとんでもないことということは報道などで何となく感じましたが、正直他人事と思っていました。私の住んでいた猪苗代町は避難区域ではなかったからです。同じ福島での出来事であったのに、あまり危機感はしませんでした。

 あれから10年経った今では、あの事故の凄惨さや大きな傷跡を残したことを強く感じます。自分の生まれ育った故郷を離れなければならないこと、放射能により大事に育ててきた牛や鶏などを殺処分されなければならないこと、風評被害により誹謗中傷をひどく受けてきたことなど、数多くの悲しみがありました。私は事故当時自分のことしか考えていなかったため、原発事故がもたらした被害をよく理解していなかったのですが、周りを見渡してみるとどれほど大きな被害があったことかがわかってきました。現在復興が進み、自分の故郷に帰ることができたり、壊れた町が直ったりしていると思います。しかし今でもあの時の悲しみが残っている人もおり、直ってない町もあります。コロナ禍で紆余曲折となりましたが、オリンピックでは復興された福島を見てもらう予定だったのですが、まだその悲しみが残っていることは復興と言えません。この悲しみを完全に乗り越えていくことが復興です。そうでなければまた同じことを繰り返します。私たちがこれからの未来、同じ惨劇を起こさないよう、原発事故で起きたことをしっかり学び、忘れ去られないよう語り継がなければなりません。

 しかしそれが現在できていないと思います。実際今のコロナ禍では、コロナウイルスに感染した人の誹謗中傷が絶えません。見えないものに恐怖し、それを抱えていると疑う人を徹底的に叩くといったことは、原発事故の放射能の風評被害と似ています。このことが起きてしまうのは、私たちはあの悲しみを乗り越えていないからです。原発事故を他人事と思い、学ぶことができなかったからです。私たちは過去を知ることで未来を語れます。過去を忘れることは未来を見据えておらず、同じ過ちをします。今一度この原発事故を振り返り、これからの福島、日本を考えていかなければなりません。

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