災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は当時

ペンネーム S. S.
原発事故当時に居住していた市町村 静岡県三島市
避難について 特になし
家族構成 父・母・兄・兄・本人
年齢 20歳代


 私は当時静岡県在住の小学生でした。東北から遠く離れた場所ですが、震災で多くの変化があったことをよく覚えています。

 あの震災の日、学校がちょうど振替休日で休みだったので私は友人と神社で遊んでいました。揺れを感じた私たちは揺れが収まるまで中央の広いスペースに集まって収まるのを待っていましたが、あまりに揺れが長いことに私は違和感を覚えました。静岡県では東海地震(今では連動型の地震を想定し南海トラフ地震と呼ばれるようになったもの)を想定し教えられてきたこともあり、私はこれが東海地震の前震ではあっても本震ではないと考えてかなり注意深く帰宅していましたが、まさかその揺れこそが遠方で起きたM8以上の大規模な地震だとは思ってもみませんでした。原発事故や津波による被害についての情報は私たちの身にも同じように起こる可能性のある出来事として心に刻み込むことになりました。

 あの日以降の震災によって、原発事故や津波などの情報が広がっていったり震災予想被害が拡大して堤防を拡張する計画が始まったりといった様々な変化が静岡においてもありました。その中でも自分にとって特に身近な変化としてJFAアカデミー福島について話したいと思います。

 JFAアカデミーというのは簡単に言うと日本サッカー協会と県・市が協力し6年間の連携型中高一貫で行うサッカー選手のエリート教育機関・養成システムです。JFAアカデミー福島はその一つの中でも日本サッカー協会直轄の事業として福島県で活動していましたが、震災によって活動が困難になったため静岡県に活動を一部移転して行うようになり、私のようなサッカーをしていた者や移転に関わる市や企業、学校にとってとても身近な存在となりました。

 そんなJFAアカデミー福島も、男子が今年から中学生の入校を再開し2026年に福島での完全な活動再開、女子は2024年に活動している5学年がそのまま福島に戻ることによって活動再開を予定するようになりました。私にとってとても身近な変化が復興に伴い元に戻るということに不思議な気持ちを感じます。

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