災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は県外出身で

ペンネーム Y. s.
原発事故当時に居住していた市町村 栃木県 小山市
避難について 特になし
家族構成 父、母、姉
年齢 20歳代


 私は県外出身で、大学進学とともに福島に来た。そのため正直に言うと、当時の原発事故や避難生活についてよく知らず、自分には直接関係ないことだと関心すら持っていなかった。しかし福島にきて、震災や原発の被害、避難所生活の困難さが私の想像を超えるものだったことが分かった。

 私は大学で、放課後に小学生と一緒に遊ぶ活動をしていた。この活動を始めたきっかけは、単純に子供と遊ぶのが好きだったからであり、活動の目的などは知らなかった。しかしある時、この活動の本来の目的は「震災や原発事故が原因で、外で遊びにくくなったことによる小学生の運動不足を解消する手助けをする」ということであることが分かった。活動の目的を知った時、私は、子どもが外で遊ぶことなんてとても簡単なことだと思っていたが、震災や原発の被害でそれすらも普通に出来なかった生活はどのようなものだったのか、想像して心が痛んだ。また、震災や原発の被害について考える時、放射能によって福島の農作物が売れなくて困っている、給付金について論争があるなど、ニュースで取り上げられるようなことばかり「大変そうだな」と思っていて、実際に避難所生活を送っていたり、大変な状況にいる人々自身のことについて、何も考えていなかったことに気づいた。大学の講義でも、避難所での感染症や、仮設住宅での孤独死、メンタルケア、子どもの運動不足、風評被害やうわさなど、災害によって生まれる問題について学んだ。そして、ボランティアや寄付だけではなく、小さなことでも人のためになれるということも分かった。それこそ、子どもたちと遊んだり、お話ししてみたりなど、自分にもできることがたくさんあった。この小さなことで、被災された方々が元気になったり、子どもたちの健康に貢献できるのなら、当時もっと関心を持って行動すれば良かったと後悔した。自分の力で人々が元気になったらとても嬉しいと思う。

 被害を、「自分には関係ない」と他人事として捉えるのではなく、小さなことでも行動すれば人々の力になるかもしれないということを私は言いたい。これは、福島に来て、当時の様子や実際に遭われた被害について知ることによって、学んだことである。

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