災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は、原発事故の際

ペンネーム すけがわ
原発事故当時に居住していた市町村 青森県六戸町
避難について していません
家族構成 父、母、弟
年齢 10歳代


 私は、原発事故の際、青森県にいて、幸運なことに実際の被害を受けたり、避難生活をしなければいけなかったりといった、人生を変えてしまうようなことは起きなかった。しかし、原発事故が起きたときの映像をテレビで見たときや、毎日報道される原発事故に関連するニュースを聞いたときの衝撃は、今でも忘れられないくらい印象に残っている。特に、避難区域のニュースに関して印象に残っていて、日に日に大きくなっていく避難区域、そして、避難区域に入ってしまった地域の方々が、ずっと住んでいたこの土地を離れたくないと悲しそうに語るインタビューを見て、心が痛んだのを覚えている。また、実際の避難生活の様子を見たときは、映像を見ているだけなのにも関わらず、その過酷さが伝わり、原発事故が福島県の人たちに及ぼした影響は大きいものであると感じたことも覚えている。加えて、農作物の問題に関して、米や野菜といった食べ物に放射性物質が付着し、出荷することができず廃棄処分となってしまっていることや、そのようなことから、福島県で作られた農作物に対して、放射性物質がついていない農作物のみが出荷されていて、安全であるのにも関わらず、安全ではないと差別されてしまっているという出来事を聞いたときは、原発事故が、人々にだけでなく、福島県のイメージや経済にまで影響を及ぼしていること、そして、この影響を解消するにはたくさんの時間と労力がかかることから、一つの事故がこんなにも影響を及ぼすことがあることを改めて実感したことも覚えている。

 私は、このような当時の記憶から、福島で原発事故があったという出来事だけではなく、原発事故による放射線の問題により、農作物などにおいてたくさんの被害があったことや、避難を余儀なくされ、長らく住んだ土地を離れざるを得なくなってしまった人々がいるといった、実際の被害に関することを決して忘れてほしくないと感じる。また、そのような避難生活を今もしている人がいることも忘れてほしくないと感じる。災害や事故など、たった一つの出来事で、人生がガラリと変わる可能性があること、誰にでもそのようなことが起きる可能性があることをこの原発事故による経験から知って欲しいと私は感じる。

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