災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

私は、震災当時

ペンネーム N. A.
原発事故当時に居住していた市町村 福島市
避難について 避難無し
家族構成 父・母・祖父・祖母
年齢 20歳代


 私は、震災当時小学四年生でした。たまたま学校が終わるのが早い日で、家で母とテレビを見ていました。そんなとき、テレビから聞きなれない緊急地震速報の音がしました。それからすぐ、ドドーッというような地鳴りが聞こえ、震度五強の揺れが始まりました。まるで、巨人に家をつかまれて揺さぶられているかのようでした。本震が引いた後も、数分、数秒おきに強い余震が止まらず、数日後まで続きました。地震の恐怖とともに、家具が倒れてつぶされるかもしれない、家が崩れて下敷きになるかもしれないという恐怖が襲ってきました。幼い私は、初めて身の危険を強く意識しました。キッチンでは食器棚の扉が開き、割れた食器が床に散乱していました。外では、屋根の瓦が落ちてきており、建物の壁の上から下まで、大きな亀裂が走っていました。中も危険、外も危険、私はどうしていいか分かりませんでした。テレビでは、どの局でも震災の様子の映像と避難勧告のニュース、余震の緊急地震速報と震度・マグニチュードの情報が繰り返されていました。祖父と祖母は、余震の度にただお経を何度も何度も唱えていました。結果的に、私の住んでいた地域の被害は、少ないほうでした。電気も水も止まりませんでしたし、家屋の倒壊や怪我や津波の心配もありませんでした。それでも、この震災当時の記憶は、約10年経っても私の中に深く深く刻まれています。これから先も忘れることはないでしょう。

 自然災害は、人間が操作できるものではありません。このような天災はいつでもどこでも誰にでも起きる可能性があるということです。偶然そこにいたというだけで、ただ巻き込まれて被害にあうことだってあります。もちろん、望んで被害にあう人はいませんし、事前に予知して逃げることだってほとんどできません。私は福島で学生をしていますが、震災を経験していない学生が「震災とか知らないし、関係ない。考えたくない。どうせ就職ですぐ福島なんて出ていくから。」というようなことを言っているのを聞くと、悲しくなると同時に腹立たしくなります。震災について知ってください。被災者の声を聞いてください。他人事ではないといった危機感と、それに対する備えを持ってください。ほんの少しでも、これからの災害で心身ともに傷つく人やかけがえのないものをなくしてしまう人を減らせるように。どうかお願いします。

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