災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

原発事故が発生したときは

ペンネーム H.S.
原発事故当時に居住していた市町村 郡山市
避難について していない
家族構成 父・母・兄二人
年齢 20歳代


 私は、原発事故が発生したときは福島県郡山市に住んでいた。放射線は目に見えるわけでもなく、すぐに症状が出ることもないため当時はどんなものなのかよくわかっていなかった。

 しかし、運動会が中止や体育館での開催となったり、校庭で遊べなくなったりと被害は多くあり、残念に思ったことを覚えている。 それからだんだんと復旧していき、2年ほどたった頃には身近に原発事故の影響を感じることは少なくなっていたように思う。

 東日本大震災から約3年後の当時中学2年生の時に郡山市から神奈川県横浜市に引っ越した。避難目的ではなく、親の都合での引っ越しだった。横浜市の中学校での登校初日から放射線や原発について何度も聞かれた。郡山市にいた時は原発事故は少しの影響はまだあったが、その時にはもうほとんど自分には関係ないもので過去の出来事と個人的には考えていた。しかし、県外からの目線では3年ではまだ福島県は原発事故のイメージのままなのだと強く感じたのを今でも覚えている。

 福島県から来たことでいじめられたり、避けられたり、という事はなかったが、自分から福島県から引っ越して来たと友達に言う事は少なくなった。何となく原発事故のあった福島県から来た人という目線で見られるのが嫌だった。

 その後は原発事故について特に触れることも触れられることもなく過ごしていた。高校を卒業し、福島大学に入学してまた福島県に住むようになった。福島大学では放射線について学ぶ講義がいくつかあった。その講義の1つで先生から「福島大学に入学したのだから放射線について学んだ方がいい。」と言われた。それを聞いてまだ福島県=原発事故のイメージは消え去って無いのだと思った。もうすぐ10年が経つ今でも記憶に残る原発事故の被害の大きさを改めて感じた。

 福島大学を卒業して県外に就職したらまた原発や放射線について聞かれるのかもしれない。他県だったら観光地や特産品が思い浮かぶ中、福島県は放射線や原発事故のことが思い浮かぶのは悲しい事だと思う。このイメージが無くなるのは何年後なのかは分からない。原子力発電にはメリットも多くあるが、事故が起きたときの危険性を無視してはいけないと強く思う。

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