災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

3月11日、午後2時46分、

ペンネーム S. M.
原発事故当時に居住していた市町村 福島県郡山市
避難について 避難していない
家族構成 父、母、兄
年齢 20歳代


 311日、午後246分、いつも落ち着いている担任の先生が「地震!!」と険しい顔をして大声で叫んだことは今でもよく覚えている。感じたことの無い大きな横揺れ。棚の鉢が全て落ち、水槽も倒れ床が水浸しになった。泣きじゃくる友達の手を握る自分の手も震えていた。家も変わり果てていた。ものが散乱しており、食器が割れ、仏壇が倒れ、違う場所に思えた。次の日テレビをつけると見た事の無い施設の爆発が何度も流れていた。震災当時、私は小学4年生。日々のニュースにはほとんど関心はなかったけれど、福島が大変だということは嫌というほど感じ取っていた。

 その後の生活は"放射線""被ばく""甲状腺"がつきまとう生活になった。放射線によって被ばくすると甲状腺がんになってしまうとか、生まれてくる子どもが奇形児になってしまうとか、色んな情報が飛び交っていた。自分の体内にはよくないものが溜まっているのだろうか。情報をどこまで信じていいのかもわからず、ただただ不安が大きくなるばかりだった。それから、除染が進んでいたり、甲状腺検査の結果を把握したりすることによって、だんだんと目に見えない放射線に対する不安が薄れ、自分の日常を取り戻すことができた。

 しかし、あるとき「入社試験で福島出身だということが不利になる」という話を聞いた。恐らく福島に対するマイナスのイメージ、放射線についての誤った情報などによってこのようなことが起こってしまったのだろう。私はこの話を聞いてひどく傷ついた。リスクを背負いながら除染してくれる人がいて、私たちはいつも通りの生活を取り戻すことができているのに。甲状腺検査も無料で受けることができて、がんのリスクは他の人とほとんど変わらないことが分かっているのに。

 もしこれから先、私が震災や原発のことが原因で生きづらさを感じることがあるならば、それは「福島に対する偏見」である。それ以外で生きづらさを感じることはないだろうという確信が持てるほど、復興は進んでいる。福島の現状、放射線についての正しい知識、そして、除染をしてくれた人、甲状腺検査を行ってくれた人など、復興に向けて頑張ってくれたたくさんの人の働きがもっと広く伝われば、福島に対する偏見をなくすことができると考える。心無い言葉や差別を引き起こすような偏見が無くなって初めて、福島が復興したということができるだろう。

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