災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災時、

ペンネーム A. I.
原発事故当時に居住していた市町村 西会津町
避難について なし
家族構成 父、母、曽祖父、祖母、長兄、次兄
年齢 10歳代


 震災時、私は小学校4年生で学校の教室にいた。机の下に隠れ、長く激しい揺れに耐えていたのを覚えている。地震が収まり、帰宅してテレビを見ると、どの番組もニュースしかやっておらず、車や家が津波で流されていく映像が流れていた。しばらくしてニュースは津波から原子力発電所が爆発したという内容に変わっていった。その時初めて津波の恐ろしさや放射線の危険性を知り、子供なりに大変なことが起こっていると理解することができた。それから、今度は福島への風評被害やいじめ、差別の報道を目にするようになった。私の住んでいた地域は地震による二次的な被害はほとんどなかったが、同じ福島県での災害を経験した身として、その恐怖や苦しみを理解していたつもりである。自分の通っている学校に原発事故や津波の影響で避難した子供が転校してきた時も、嫌だとかからかってやろうという気持ちは全くなかった。だから、福島の人が非難した先でのいじめの被害や、県外で福島の車のナンバーを見ると不快だと感じる人もいるなどというニュースを見る度、被災した人々の気持ちに追い打ちをかけるような行いに悲しくなった。目に見えない放射能を恐ろしく感じる気持ちは理解できるが、それを理由に被災した人々を心無い言葉や行動で傷つけることは間違っているし、むしろ大変な目に合った人への思いやりが必要なのではないかと感じた。

 現在、日本では新型コロナウイルスが拡大し、毎日多くの感染者数が報道されている。感染力が強いため、どれだけ対策していても誰もが感染のリスクを背負っている状態である。しかし、感染者が出たお店や地域への誹謗中傷をSNSなどに書き込む、あるいは直接いじめを行う人による被害が多数生まれている。私はそのようなニュースを目にすると、10年前の震災時にいじめや差別が起きたことを思い出してしまう。大きな災害や事件が起こるたびに、一人一人が大変な状況にある中で、さらに人の心を傷つけるような行いを繰り返してはならないと思う。

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