災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

自分は、福島県の隣県に住んでいるため

ペンネーム M.
原発事故当時に居住していた市町村 宮城県白石市
避難について 特になし
家族構成 母、祖父、兄
年齢 20歳代


 自分は、福島県の隣県に住んでいるため原発事故による大きな被害は受けませんでした。それでも、宮城県南部に住んでいるため放射線量が高い場所も多くありました。当時は、小学生でした。学校が再開した後の授業では、本来なら習わないであろう「放射線」の話をされることも多々ありました。授業の一環で野菜を毎年育てているのですが、それも基準値よりも上回ってしまっているために行うことができませんでした。近くに住んでいる訳ではないのに、ここまで普段とは異なることが起こっていたのだと、今この分を書いていて思いました。

 小学6年生の時、修学旅行で「会津若松」に行きました。そのときは、放射線についてはある程度落ち着いてきた頃だと思います。しかし、「風評被害」に福島県民の方々が困っていた時期だったとも思います。旅行先で乗ったタクシーの運転手さんが「今はもう大丈夫だから心配しないでね。周りの人にもそういって欲しい」と言っていたのを今でも覚えています。それだけ、そこに住んでいた人々は大変な思いをしていたのだと伝わってきました。

 原発事故が起こったことにより多くに人が過剰に「放射線」に反応するようになったのではないかと思います。医療現場でも用いられているものですが、「悪」という極端な認識を持っていたような気がします。

▲ ページ上部へ戻る