災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

はじめ、私は

ペンネーム 三輪
原発事故当時に居住していた市町村 新潟県新発田市
避難について 地震等による移動なし
家族構成 父、母、姉、兄、姉、私
年齢 10歳代


 はじめ、私はこのプロジェクトの原稿を書くことに参加するかどうか迷った。なぜなら、現在は福島県に住み福島県の大学に通っているが、3.11当時、私は実家である新潟県に住む小学5年生であり、正直当時のことをほとんど覚えていないからだ。この原稿を書くにあったっての案内用紙には「原発事故を経験した者(福島県以外で経験したとしてもOK)として~(以下略)」とあった。このプロジェクトの趣旨としては、3.11の出来事によって大なり小なり人生を動かされた(誤解を恐れずいうと)「当事者」の意見を求めているのではないかと私は推測する。であれば、私が原稿を書くことは適切ではないように思ったのだ。

 このようなことを2020年の年末に実家に帰って母や姉、兄と話したところ彼らは私より当日のことを覚えていた。母はスーパーで買い物をしているとき、飛び出すほど大きい揺れではなかったが異様に長く続くためスーパーにいる人達と外に出ておこうか...という感じになったらしい。また、この日は私の5歳上の兄の合格発表の日であったため、スーパーの近くの本屋では兄がいて同じく外に出る流れになったそうだ。

 正直私は揺れた直後を何も覚えていない。当日のことでかろうじて記憶にあるのは、学校から帰ってテレビを見るとどこの局もずっと地震や津波のことばかり放送していたことだ。ことの重大さを理解していない私は、その日あったはずの番組が消えたことに少々不満を持ったほどだ。私はまだまだ人間として幼い奴だったなぁと、振り返って思う。

 原稿を書く前や原稿を書いている途中、災害心理研究所のサイトにある過去の原稿をいくつか読み、私の原稿が場違いかもしれないという考えは強まったが、しかしこの原稿を提出してみる。前記にある家族内での話の中で、兄が「とりあえずそのまんま(思ったことを)書いて出せばいいじゃん。一つの見え方としてこういうのもあるって例で」というようなことを言っており、それに納得したからだ。

 悲しいことにどんなに大きい事件が起こっても自分に関わりがないと結局は「対岸の火事」だ。他人事とまではいかなくても、実感は持ちにくい。自分にも同じことが起こる可能性があると知っていても、本当に起こるその瞬間まで、あくまでも記録で、情報で、歴史で、本当に理解はできないのではないだろうか。実際に体験していない出来事の温度や人々の心は推し量ることしかできないと私は考える。

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