災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

福島に対する意識を変えたい。

氏名 徳竹菜々夏
原発事故当時に居住していた市町村名 長野県飯山市


 私が福島大学に合格して、福島県に住むことになったと決まった時、周囲の人からは「福島って大丈夫なの?」という言葉をうけることが何度かあった。私が「何がですか?」と聞くと、その方々は口をそろえて、原発事故についてのことだといった。私自身は特に不安に思ってはいなかったが、福島の原発事故に対する不安の声や偏見というのは事故から9年たった今でも深く根付いているのだと感じた。しかし、私が今まで福島県で過ごしてみて、福島大学で原発事故後の福島について学ぶことで、被災地の安全性に対する誤解について知り、そのような偏見や差別を感じる言葉に対して悲しい気持ちになるようになったことや、偏見や差別ではなくとも原発事故に対する不安の気持ちも理解できることから、この誤解を解くためにはどうしたらよいのかを考えるようになった。では、なぜいまだに誤解が残っているのかを考えると、それは福島原発事故に対する記憶や意識の風化が原因であるのではないかと考える。原発事故当時は一般的な災害とは異なり、政治的、経済的に多くの影響を与えたため、フェイクニュースやデマが広がったことや、放射線に関する不安などにより何が事実なのかを見極めることが困難な状況であったと考えられる。放射線のリスクや原発に対する議論が多くなされたが、様々な意見が存在したことで世の中に浸透するような絶対的な考えが生まれたわけではなかったため、「福島は危険である」というイメージが根付いてしまったと考える。事故から数年がたち、関心がなくなってきたころに残ったそのイメージは、福島を想う時に関連して思い出すキーワードとして存在するのだと考える。しかしながら、福島の現状に対する正しい知識を調べようとする人は多くない。ならば福島に関する誤解を知っている人が正しい情報を発信していくべきであると考える。それは原発事故に対する情報でなくてもいい、福島に対するポジティブな明るいニュースや福島の好きなところでもいいと考える。福島に住む私たちが原発事故に捉われ続ける必要はなく、それよりも変わっていく福島の良いところを発信していくことが良いのでではないかと感じている。そうすれば、福島に対する意識というのも変わってくると思うし、福島自体への関心が増えるのではないかと考える。もし原発事故について聞かれたのなら、正しい情報を広め、正しい情報を持つ人を増やしていけばいいと考える。

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