災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

今の福島の姿

氏名 小野寺渉未
原発事故当時に居住していた市町村名 岩手県奥州市


 震災当時、私は福島県からは離れた岩手県に住んでいました。同じ東北とはいえ、内陸部に住んでいたこともあり、そこまで深刻な被害のあった地域ではなかったものの、小学校の校庭の土をすべて入れ替えるために、かなり長い間校庭が封鎖されるなど、原発事故の影響は少なからずありました。原発当時は、「福島第一原発が~」とか、「○シーベルトの放射線が~」などといった言葉が、多く発せられており、まだ小学生で無知だった私は、難しいことは分からず、漠然と「福島の放射線が危ないんだ」という印象を持ったまま、特に深く知ろうとも思っていませんでした。

 そんな私が、福島や原発事故について深く知るきっかけとなったのが、福島大学への進学です。福島大学では、東日本大震災や福島第一原発についての講義があったり、他の授業の中でも話題が取り上げられたりするなど、原発事故について触れる機会が多くなり、福島に来て、学び、初めて知ることもたくさんありました。その中で、私が一番印象に残っているのは、福島県の農作物の安全性についての話です。放射線により、福島県産の農作物の安全性が疑われ、偏見の目が向けられている話は、福島に来る前から聞いたことがあったし、そうなってしまうことも理解はできました。しかし、実際は、原発事故を経て、より慎重に安全性の検査を行い、充分に安全が保障されたもののみを販売しているのでした。よく考えれば分かることで、原発事故や放射線の問題によって、消費者から安全性が疑われることは、悲しいながら当然であるため、他のどの地域の農産物よりも、厳密に検査しているはずなのです。つまり、福島の農作物は「日本で一番安全性が保障された農作物」とも言えたのでした。しかしそれでも、私も今まで気づくことができなかったように、他の地域の消費者からすれば、そんな事情は知ることはなく、福島県産というだけで、買うのを避けたり、避けるだけならまだしも、罵声を浴びせたりすることもあったようです。

 福島に住み始めて、もうすぐ2年となりますが、この期間で思ったことは、現地の人にしか分からないことがたくさんあるということです。外から見ているだけでは、本当のことは分かりません。住んで間もない私も、知らないことはまだまだあるとは思いますが、学んだことも数多くありました。偏見の目を向けず、できるだけ多くの人に、今の福島の姿を知って欲しいと思います。

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