災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

対話を通して考える「あのとき」と「これから」

氏名 嶋﨑絢
原発事故当時に居住していた市町村名 茨城県那珂市


 東日本大震災による原発事故の記憶は、今もなお多くの人々の記憶に刻まれている。当時小学生だった私も、事故発生を知ったときには大きな衝撃を受けたが、時間が経ち以前の生活に戻り始めたとき原発に対する恐怖や不安は薄れていた。

 そんな私が再び原発事故への関心を持ち始めたのは、大学生活を始める前のことであった。4月から福島で暮らすことを伝えた際に知人から言われた言葉が今でも印象に残っている。

「さすがに10年経っているし、福島も大丈夫だよね。」

一瞬、何のことを言われたのかわからず、それが原発事故に対する言葉だと知ったとき、10年経っても人々の中に残り続ける原発事故の衝撃の強さを改めて感じた。そして今後福島で暮らすうえで原発事故後どうやって日常を取り戻したのかを被災地となった福島で知りたいと感じた。

 そこで私は、震災から10年の節目を迎えた20213月に大学生向けのオンライン震災復興イベントに参加し、現職の福島市議会議員の方から震災直後の様子に関してお話を伺った。

 福島で育ったことによる偏見や差別がなかなかなくならなかったこと、このまま福島で生活をしてよいのかという葛藤があったことなど、当時福島で生活をしていた人にしかわからない苦しみをお聞きすることができた。しかしその一方で、人々が安心して福島で暮らせるようモニタリングポストの設置を訴えたというお話もお聞きした。放射線量が下がったから大丈夫だと伝えるだけではなく、目に見える形で安全を保障する。被災した地域での「これから」の生活を考えて行われるこのような取り組みは、非常に重要なことであると感じた。

 震災復興イベントに参加してみて、原発の恐ろしさを体験した方から直接お話をお聞きしないとわからなかった「福島のリアル」を知ることができた。当時福島で原発事故を経験していなかった私でも、原発事故の悲惨さだけでなく、そこからの福島の復興の歩みを実感することができた。記憶を風化させないということは、当事者が語り継ぐのをやめないということだけなく、当事者以外の人々が当時の様子を知ろうとする姿勢をもち続けることであるとも思った。特に、私と同じ大学生や、震災当時生まれていなかった小学生以下の子たちにも、ぜひ、震災についての学びの姿勢をもってほしい。私が参加したイベントのように今は直接会わなくても人々の対話が可能である。オンラインも上手く活用しながら、震災を経験した者としていない者が震災の「あのとき」と「これから」について意見を交換し合うことが記憶を語り継ぎ、震災を風化させないことにつながると感じた。

▲ ページ上部へ戻る