災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

偏見

氏名 N. R.
原発事故当時に居住していた市町村名 大石田町


 私が原発の影響で福島県の人が生きづらさを抱えていると知ったきっかけは、高校演劇だった。私は山形県大石田町出身で大学生になるまで福島県に行ったことがなく、福島県に住んでいる親戚もいなかったため、福島県についてはほとんど何も知らなかった。原発事故も大きな被害を被っている状況だと理解していたが、福島県の人たちがどれほどつらい目にあっていたか考えたこともなかった。

 山形の高校に進学し、演劇部に所属した。演劇部は夏に大会があり、地区大会、県大会、東北大会、全国大会と選ばれた高校だけが次の大会へ進むことができる。私は東北大会で、初めて福島県の高校の舞台を観た。放射線防護服を着た人が家に入り淡々と作業をこなしていく。幼少期に過ごした思い出のある家がボロボロになっていく。原発が起こる前は笑顔ではしゃいでいたはずの子どもたちが、事故後他の場所に移り住んでいく、という内容だった。衝撃だった。福島県の原発事故を表面上しか見ていなかったことを後悔した。

 私が福島大学へ進学することが決まると、父と母は心配した。原発事故から約10年経っているのに、何を心配することがあるのだろうと疑問だった。父と母は水道水をなるべく口にしないよう、ウォーターサーバーの設置を促してきた。私は、福島県に越してきて初めて両親が福島県に偏見を持っているのだと知った。しかし、原子力発電所は以前より強化されている。自然現象(地震、津波など)への対策や冷却機能が喪失した場合の対策などが行われているため、そこまで心配する必要はない。私は、両親は無知であるがゆえに偏見を持ってしまったのだろうと感じた。過去のレッテルにしか目を向けず、過去に犯した過ちは現在も反映されているのだろうと勝手に想像し壁をつくる。そうして線引きする人が多いから、事件にはかかわりのない人だとしても同じコミュニティに属するからと、白い目で見てしまう。原発事故による被害はもちろん恐ろしいが、周囲の人の無知からくる偏見が最も恐ろしいと感じた。私も、舞台を観ていなかったら冷たい視線を浴びせてしまったかもしれない。

 無知ゆえの偏見をなくすためには、原発事故後の福島を知ってもらう必要があると考える。正しい知識を身につければ、福島に対する考えを改める人たちが増えるだろう。原発事故後の福島を福島以外に住んでいる人たちに知ってもらい、無知ゆえの偏見がなくなることを願う。

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