災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

東日本大震災が起きたことで学んだこと

氏名 永山桜子
原発事故当時に居住していた市町村名 福島県福島市


地震はとても大きな影響を福島に与えた。その最たる例が津波と原発事故である。私は当時福島県福島市に住んでいたため津波の被害は受けなかったが、沿岸部に住んでいた人の多くの命を奪った。これだけでもひどい話なのに福島は宮城と岩手と違い原発被害も被った。私の親戚の多くは原発被害を色濃く受けた沿岸部に住んでいたため、避難を余儀なくされた。地震前はたくさんいる親戚がお正月やお盆の時期になると一カ所に集まって会話をしたり、お年玉をもらったりすることができたのに、地震後はバラバラになったため簡単に集まることができなくなった。皮肉にも地震後で記憶にある親戚一同で集まった機会はおばあちゃんの葬式だった。また、母の実家が原発事故のせいで売られることになった。それは避難をしていたためにネズミの被害に遭ったことと住んでいた親戚が別の土地で安定した暮らしができていたからである。そのおかげで母の小さい頃の写真やアルバム、そして実家が一気に無くなってしまった。原発事故は私たち福島県民の思い出を奪ったのである。私はこのような経験から、いつ何が起きるか分からないから、後悔しないように今この瞬間を大切に生きることが大事であることを学んだ。

震災によって他にも一種のトラウマのようになったものがある。それは緊急地震速報の音だ。地震前はそこまで怖さを感じていなかったが、今では聞くと不安になる音になった。この音に対する恐怖はおそらく一生消えないと思う。

このように震災と原発事故は私たちからかけがえのないものを奪った。しかし、奪われたことで学んだこともある。それは地震をなめてはいけないという気持ちや避難意識等だ。東日本大震災が起きる前は、地震に対してそこまで恐怖を抱いていなかった。正直阪神淡路大震災が大変甚大な被害をもたらしたということは知っていたが、それも他人事のように感じてしまっていた。しかし実際に経験したことで、地震がどれだけ恐ろしいものかよく分かった。つまり、ここで私が言いたいことは体験しないとその怖さが分からないということだ。怖さが分からなければ、地震に対してどこか舐めてかかってしまうと思う。私たちはリアルタイムで震災を経験した身として、この経験を後世に伝えていくことで地震に対する意識や恐怖を風化させないことが大切であると思う。

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