災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

「被災地」で終わらせないために

氏名 粕谷 侑里
原発事故当時に居住していた市町村名 栃木県真岡市


2021年。震災から10年経った。震災当時、栃木県南部に住んでいた私だが、大学進学を機にここ福島で一人暮らしをすることになった。進学時点で震災からは既に7年経過していたため、「被災地」であることをあまり意識せず、大学生活を送り始めた。穏やかなキャンパスライフを過ごしていたのだが、キャンパス内に見慣れないオブジェクトがあることがずっと気になっていた。気温を示す電光掲示板のような機械。放射線計測器である。

 福島県出身の友人に話を聞いてみると、県内では珍しいものではないという。それまで、震災および原発事故はもう過去のものだと思っていたのだが、7年経った今もこうして私生活に被災の痕跡が残っていることを知り、とても衝撃を受けた。

 友人に話を聞いてから意識して生活をしてみると、大学の敷地以外みも放射線計測器をいくつか見つけられた。また、普段何気なく見ていたテレビ番組の天気予報でも、測定量が報道されていることがわかった。そして、インターネットでさらに調べてみると、福島県が行っている放射能への取り組みには、「県民健康調査」や、「水産物や加工食品等の放射性物質検査」、「水質検査」などがあり、定期的かつ高頻度なモニタリングがなされているという情報が多く見受けられた。このような取り組みのおかげで、私たちが安心して生活できているのだということを改めて実感した。

 しかしながら、私のように、被災地の現状を肌で感じ、安全のための取り組みを目の当たりにする人がいる一方で、未だに「福島県=原発事故=危険」と考える人少なからず存在するのが現実であろう。東日本大震災に限ったことではないが、メディアで大きく取り上げられるのは被害状況であり、その復興の様子は日の目を浴びないことが多い。自分から現状を知ろうとしない限り、被災地の情報はアップデートされないのである。

 令和になった今も尚、福島県に対する放射線の風評被害はゼロではない。しかし、被災地の方々が復興への絶え間ない取り組みをしてくれているために、安心して福島県の農産物を食べられること、福島県に訪れることができることを、私たちは全国に伝えていく義務がある。自ら福島の現状を調べようとせずとも、そのような人達にも正しい情報が届くように。

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