災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

終わっていない過去を知る権利

氏名 上條 結良
原発事故当時に居住していた市町村名 新潟県上越市東城町


 私は震災当時、福島県に在住しておらず、地震や津波の被害を殆どと言っていいほど受けませんでした。福島をはじめとする太平洋側の県には知り合いが全く居なかったことも相まって、私にとって震災や原発事故は、ひどく遠い出来事でした。大学選びの際にも、震災から何年も経っていたこともあり、かつて原発事故が起こったことを特に考慮に入れずに決めたのを覚えています。

 しかし、その認識は福島大学での幾つかの講義を経て変化しました。除染の問題の議論や、避難して戻ってこない住人への対応、あるいは震災当時に行われた各種問題への対処の分析。少なくない講義のトピックとして原発事故が取り上げられている状況を、私はここに来て初めて知りました。

 福島から離れた地元の県では終わった出来事として扱われ、もう顧みられることもないあの出来事は、福島ではまだ終わっていないのだと、私は再認識しました。

 それらを通して最終的に私が気づいたのは、この場所では、過去を知る権利が守られているのだということです。

 原発事故が恐ろしいものだった、という実感を持たないまま福島に来た私でさえ、福島に残されている各種記録や、今なお行われている、事故の爪痕を癒す為の取り組みに触れれば、否応なしに過去に触れることになります。たとえば、減少したままの人口への対応策や、根本的な問題である原発事故が起きた理由の詳細。これらの課題が今なお解決されておらず、ともすれば未来まで残りかねないという実感を知る経験は、何にも代えがたいものだと感じました。

 その実感が特に重みを増したのは、CO2を出さずに電力問題を解決する手段として、原子力発電が用いられているという近年の傾向を知った時です。福島での事故が想定外の津波の結果であったとはいえ、その解決も難しいまま、リスクの軽視が罷り通っている。福島に来る前の私は、こうしたニュースを見聞きしても気にも留めなかったでしょうが、その被害が今も残っていると知ってしまえば、そこに違和感を抱かずにはいられませんでした。

 原発事故がどのようなものであったか。どのような過程を経て復興が行われたか。それらを多くの人が知ることには、重大な意味があると思います。それは2011年の震災を終わらせるためにも、いつか起こるかもしれない、別の被害に備えるためにも必要であると私は考えます。

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