災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

震災は終わっていない

氏名 K. K.
原発事故当時に居住していた市町村名 群馬県富岡市


 東日本大震災発生から10年が経ちました。福島県では現在も放射能問題が解決されず帰還困難区域に指定されている地域があります。震災に感じた恐怖が多くの日本人の中で薄れていくなか、帰還困難区域では当時の景観がほとんどそのまま残されています。現在帰還困難区域の一部地域は自動車から降りないことを条件に通過することができます。私はそこで当時恐らく新築であったであろう住宅を見ました。それらは当時から利用する人間がいないため本当に当時のきれいな見た目を保っています。その家々の所有者が当時突然その家庭での生活を、未来を奪われたことが感じられます。放射能問題がもたらした影響がどのようなものだったかを感じることができます。

 2011311日、地震に伴う津波により福島原発事故が発生しました。当時はそんな事故が発生することは誰も想定しておらず、放射能や放射線に関する知識を有している人はほとんどいませんでした。そのためニュースで報じられる内容に流され、偏見を持つ人も多くいました。福島原子力発電所周辺の地域の住民は見えない放射線に恐怖しながら他の地域に避難を余儀なくされました。私の祖父母と従兄弟の住まいは郡山市にあり、当時外出すること自体が憚られ、外に出るときはマスクを着用していました。しかし、実際のところマスクではほとんど放射線を防ぐことができません。さらには時間の経過とともに放射線に対する恐怖心も薄れていきました。メディアの社会に対する影響力がよく分かる経験でした。

 2021年現在、福島原子力発電所廃炉に向け、汚染水の海洋放出が進められています。国内外から多くの批判があるなか、私個人としては海洋放出に賛成しています。現代の科学では安全な廃炉の方法が確立されていません。廃炉が進まなければ帰還困難区域は未来永劫そのままです。汚染水の海洋放出反対の方も、そうでない方もぜひ帰還困難区域の実状を見て、感じていただきたい。その上で今後の廃炉方法、原子力発電所の運用について考えていただきたい。私個人はそう思います。

 東日本大震災による被害がどのようなものであったか、原発事故がどのようなものであったかを今後の災害対策に活かすために実際に被災した人間が語り継ぐだけでなく、被災していない人間が興味を持って耳を傾けることが防災に繋がると考えます。

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