災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

福島と放射性廃棄物の最終処分場

氏名 岡地七海
原発事故当時に居住していた市町村名 栃木県宇都宮市


東日本大震災から10年が経った。私は、東日本大震災を福島県の隣の栃木県で体験したが、福島に来て初めて気付かされることがたくさんあった。その中で、未だに自分の中でわだかまりが残っていることがある。それは、私が中学2年生の夏休みに書いた人権に関する作文についてである。栃木県内の祖母が住んでいる町が、福島の原子力発電所事故で発生した放射性廃棄物の最終処分場候補地となっており、そのことを題材にした。原文が残っていないので詳しく覚えている訳ではないが、放射性廃棄物は他県に持ち込まず福島県内で処理するべきだという内容だった。しかし、福島に来てから、大学の講義などで東日本大震災時の福島の様子や避難所での話を聞くにつれ、私が書いた作文の内容は適切ではなかったのではないかという思いが強くなった。震災当時、福島の避難所では段ボールなどで仕切られた区画でプライバシーもなく、不安を抱えながら不自由な生活を送っていた人がたくさん居たことを知った。また、農産物が放射能に汚染されて売れなくなり、きちんと検査を行って基準値に達していないものだけを売りに出しても、福島県産というだけで手に取られず苦しい状況に陥った農家の方がたくさんいることを知った。私は、このような当時の姿を知り、目の前の自県のことしか見えていなかったと感じた。福島で被災した方々の心境も推測できていれば、放射性廃棄物は他県に持ち込まず福島県内で処分するべきだといった断定的で偏った考えにはならなかったと思う。しかし、当時の私が抱いていた「祖母が住んでいる自然豊かで美しい町を守りたい」という思いも否定できない。また、祖母の家に遊びに行く道中の至る所に、「処分場はいらない」「指定廃棄物最終処分場断固反対」などの立て看板やのぼりが置いてあったこともあり、漠然とした恐怖が先行してしまったことも関係していたと考えられる。そのため、作文に書いた内容を振り返って、自分が偏った思考であったと思いつつも、必ずしもその考えが悪いとは言えないと思っている。

この経験を通して、災害時に重要なことは、多角的に物事を見ることであると感じた。自分がいる場所や置かれている状況だけしか考えていないと、視野が狭まり、偏った思考をしてしまう。災害時、身体的にも精神的にも余裕がない時にこそ、広い視野でいろんな角度から物事を考えることが重要であると考える。

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