災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

「かつての『被災地』」への理解

氏名 酒井愛実
原発事故当時に居住していた市町村名 山形市小白川町


  福島は原発事故の被災地であった、ということは紛れもない事実であり、その影響は事故当時から10年以上の歳月を経た今でも各地で残っていると言わざるを得ない。

 しかし、いまだに「被災地」として考えるのはどうなのだろうかと私は感じている。福島大学のとある講義をきっかけに、私は川内村という原発事故の避難対象区域であった地域の方々と交流があった。その講義で学ぶことは原発事故による被害の深刻さや今も残る影響についてだと考えていたが、実際に私がその講義を通してまず一番に感じたのは川内村の方々の持つ地域復興に向けたエネルギーやモチベーションの高さだった。村民の方々の意識が「私たちは10年前の原発事故の被災者だ」と悲観的になっていることを想定していた私にとって、どうやって自分たちの地元を復興させるか、盛り上げていくことができるか、より住みやすい地域になるかという前向きで積極的に村おこしに励む村民の方々の姿は驚くものであると共に、自分の無知と被災地に対する偏見をもっていたという事実を突きつけられた気がした。

 私が関わる中で知った川内村には、放射線による心配もない豊かな自然の中で育てられている野菜やきのこ、美しい水、そこで採れる川魚、広大な土地を活かしたワイナリーなどの豊富な特産品があり、トライアスロン大会やマラソン大会、伝統的な祭りなど幅広い年代の人が楽しむことが出来るイベントも企画・運営されている。それは恥ずかしながら私自身も講義を通した関わりの中で初めて知ったものだ。全ての人、全ての地域が復興を果たしている、とは言い切れず、実際に川内村に隣接する町でも立入禁止の状態が続いており、復興が思うように進んでいない。しかし、少なくとも立ち上がっている人と地域は存在し、その活動はますます活発なものとなっている。

 だからこそ、自分と同じように全く知らないという人、イメージを抱いている人に実態を知ってほしい、魅力を知ってほしいと強く感じるようになった。村の人々がなぜここまで精力的になれるのか、何が村民の方々をここまで動かす原動力となっているのか。それは自分たちの地元である川内村を守りたいという思いであり、その手助けとして私たちが出来ることは誤った知識や偏見に基づいた考えを持ち続けることではなく、「かつての『被災地』」の現状を正しく知り、理解を深め、広めようとする姿勢を持つことだろう。

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