災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

当たり前は当たり前じゃない

氏名 安藤日菜
原発事故当時に居住していた市町村名 福島市


私は生まれた時からずっと福島に住んでいる女子大学生である。だから、東日本大震災も原発事故も経験してきた。そんな私が原発事故を通じて感じたこと、世界中に伝えたいことがある。それは、当たり前のことが必ずしも当たり前のことではないということである。一見聞くと、ごく普通のことだと思われるかもしれない。だが、私は原発事故を体験してそのことを強く感じた。だからこそ、世界中に伝えたいと思った。

 私が東日本大震災と原発事故を体験したのは小学校3年生の時である。私が住んでいる福島市は幸いにも大きな被害を受けることはなく、避難をする必要もなかった。しかし、原発事故によって放射能が放出され、外に遊びに行くことができなくなった。それは学校が再開されても変わらず、除染が終わるまで学校の校庭にあった遊具には使用禁止の紙が貼られ、校庭で遊ぶことができる時間も限られていた。当時通っていた学童保育も同様であった。また、「放射能を吸い込まないように」とマスクの着用を課され、「子どもたちの健康状態を見るために」とガラスバッジという測定機器の着用を課された。学校には、原発に近い地域から避難してきた子どもたちが転校してきた。その子たちは「生まれ育ってきた地元や家、大切なものすべてを捨てて避難してきた」と言っていた。それを聞いて私は当たり前のことだと思われることは決して当たり前ではないのだと思った。もし、原発事故が無ければ私たちは何の制限も受けずに外で遊ぶことができただろう。マスクやガラスバッジの着用をする必要もなかっただろう。原発に近い地域に住んでいた人たちは避難をする必要もなく、住み慣れた地域で家族や友人、地域の人と共に幸せな暮らしを送っていただろう。私はそれまでこのことが当たり前のことでずっと続くと思っていた。しかし、原発事故によって当たり前だと思っていたことが一瞬にして崩れていくのを実感した。だからこそ、私はこれからの生活で「当たり前」に感謝して生活していきたいと思った。どうか、この文章を読んでいる人も今の恵まれている生活が当たり前のことだと思わずに感謝しながら生活をしてほしいと思う。

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