災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

福島に来て感じたこと

ペンネーム T.I.
原発事故当時に居住していた市町村名 荒川区


2011年、私は東京に住んでいました。東京から福島に来て、そして福島大で色々な人の話を聞いて感じたことを書きたいと思います。

私が一番衝撃を受けたのは、原発事故の後、福島県民を遠ざけ、拒否するような対応が多くあったということです。福島ナンバーの車で県外へ行くと、「帰れ。」と言われたという話を聞き、胸が痛くなりました。

また、福島県産の農産物の価格が落ち、10年経った今でも、震災前の価格まで戻っていないものがあることを知りました。私には、福島出身の祖父がいます。震災の前に病気で亡くなってしまいましたが、幼少期は正月になると、祖父の故郷のもち米で一緒にもちをついていました。「福島のお米はおいしいね。」と言って一緒に食べていた思い出があります。私にとって福島のお米は、他とは違う特別な存在だったので、放射能検査を慎重に続け、安全が保障されても、価格が以前より下がってしまっていることを悲しく思いました。

目に見えない放射能は、誰でも怖いものです。不安な気持ちになるのは当然だと思います。しかし、それぞれの場所に、そこに住む人々のかけがえのない生活があります。不安を人にぶつけたり、不安をさらに煽って風評被害を拡大させたりということは、絶対にあってはならないことだと感じました。

そして、現在私たちの生活を大きく変えてしまった新型コロナウイルスもまた、目に見えない脅威です。コロナ禍でも、感染してしまった人への嫌がらせや、ネットでの誹謗中傷、県外ナンバー車への攻撃など、人の非難をたくさん見聞きしました。

原発事故当時の話を聞いたり、コロナ禍の生活を経験したりする中で感じたことは、大きな困難が起きたとき、私たちがすべきことは、「誰か」や「何か」を責めることではないということです。不安な状況の中だからこそ、間違った情報や過剰な不安感に飲み込まれて人を傷つけることのないように、正しい情報を取り入れて、正しく恐れることが何より大切だと感じています。

そして、これから私たちに必要なことは、自分が感じたこと、学んだことを忘れないように人に伝えていくことだと思います。福島に来なければ知ることのできなかったことや、感じられなかったことがたくさんあります。月日が経っても、福島大での出会いや学びを忘れず、大切に伝えていきたいと思います。

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