災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

当時の福島での暮らしと今考える福島の現状

氏名 小野凌雅
原発事故当時に居住していた市町村名 福島市


 私は小学校3年生の時に東日本大震災、そして原発事故を経験しました。地震のときには経験したこともない揺れに対して驚きましたが、原発事故はそれ以上の衝撃でした。しかし時間が経つにつれて自分らが原発事故の起こった県にいるという危機感が徐々に無くなりました。その後、小学校5年生の頃に転校生が来ました。その子は浪江町出身で原発事故の後、東京に引っ越し、福島に帰ってきたようでした。仲良くなった後、東京でイジメがあったことを教えてくれました。近づいたらウイルスが移ると言われてまともに話してくれなかったとのことでした。この時に初めて福島県外で福島県に住んでいる人やものがどのように思われているかを知りました。福島県から非難した人たちの中には放射線を持っていると思われてイジメを受ける人もいるということには原発事故以来の衝撃がありました。なぜこのような理不尽に合わなければならないと当時は思いました。しかし今考えてみると情報があまり伝わっていない状態で福島から転校して来たら警戒するのも一理あるのではないかと考えています。そこから情報を伝えることの大切さを学びました。福島産の食べ物も未だに一部の人たちから拒絶され続けています。基準値も測定して下回っているのにもかかわらずにも拒絶されています。この問題をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。この問題を全国に拡散することで福島の現状を知ってもらいたいと思いました。

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