災害心理研究所 The Center for Psychological Studies of Disaster

福島の母たち・若者たちの心からの声を発信するプロジェクト

「してあげる」より「一緒にする」

氏名 安福 あゆり
原発事故当時に居住していた市町村名 神奈川県川崎市


 震災当時、私は神奈川県に住む小学4年生だった。震度5強の揺れに遭ったとき、夢でも見ているようで現実感がなく、呆気にとられたことを覚えている。幸い私の周りでは知人の怪我や建物の倒壊などはなかった。しかしそのためか、私は次第に震災を、「『支援する側の、被災者でない自分』が『被災者()』に施すべき現実」として受け入れるようになった。

 大学進学を機に福島県で暮らすようになり、大学の講義、写真展、キャンドルイベントなど、震災の記憶や教訓を伝えるものに数多く出会うようになった。その中で印象的だったのが、大学の図書館に展示されていた、福島大学の学生が須賀川の小学生と集団創作を行う「光の巨人」ボランティアの時の写真である。製作過程や笑顔あふれる児童たちの写真に混じって、児童との製作の集大成に感動し、涙し抱き合う学生たちの姿が写ったものがあったのだ。

 私はこの写真を目にしたとき、自然と涙が出た。写真の中の学生たちは名目上、学生がボランティアをした側で、児童はされた側である。しかし、その時間中に学生から児童へ一方通行で「○○してあげる」という姿勢ではなく、学生と児童が物事を「一緒にやる」という姿勢で同じ気持ちを共有したからこそ、学生も自分事として、涙するほどに心を動かされたのだということが伝わってきた。

 支援を行う際は支援者だけが主体となって相手に対して何かを「してあげる」という姿勢ではなく、支援者とそれを受ける人が共に主体となって「一緒にやる」という姿勢で接することで、両者が同じ感情を共有する体験ができ、それができて初めて、「心を通わすことができた」「相手と同じ目線をもつことができた」と言えるのではないか。それが私が福島県に来て学んだ、「支援」というものに対する考え方である。

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